悲劇の歌姫 Sinéad O’Connor

“The singers we love are the people who, from the first syllable you know who they are, because they’re 100 per cent themselves.”

シネイド・オコナーを知っている人はどれぐらいおられるだろうか?世界には天才的なシンガーがたくさんいると思うけど、私が独断と偏見で世界の歌姫を選ぶとしたら、フェイ・ウォン(香港)、宇多田ヒカル(日本)、メアリー・ルー・ロード(U.S.A)、ジャニス・ジョップリン(U.S.A)...非常に偏っていてすみません、というところであるが、オコナーは世界でも稀に見る天才歌姫である。彼女の何とも表現しがたい透き通ったような声は声だけでも感動的である。彼女の歌を聞きたかったら彼女の曲よりもMassive AttackのTear dropを聞くべきである(そしてまた、この曲は大爆音で聞くべきである)。というのは、彼女自身が知らない彼女の才能を目一杯引き出したのがMassive Attackなのである。しかし今回は彼女の音楽性のついての話ではない。彼女の不幸についての話である。そしてそれは独自性と自立性をもった人間の不幸の話である。
ミッシェル・フーコーによれば、例えば反抗というものが存在するとき、それらの概念を支えているのは抑圧という関連した概念であり、権力という概念を支えている(成立させている)のは外でもないその権力に対して何もしないという被権力者の意思である。そういう意味ではオコナーの生涯を通じて行われる反抗や反逆、それらを含めた社会運動はその反対項の抑圧があってこそのことだ。その抑圧とは、我々日本人からはなかなか想像のしづらいカトリック教会への反抗と反逆に他ならない。カトリック教会に露骨な反抗を企てたのはオコナーとオットー・フォン・ビスマルク (Otto von Bismarck, 1815-1898)ぐらいなものである。

2023年7月26日、死去。56歳没。今現在でいえばかなり若い。

Sinéad O’Connor The fabulously outspoken singer