開かれているのは股だけではないというSNSサイトを目指して
戦後から1960年代〜1980年代にかけての高度経済成長期の終わり頃まで、世の中のあらゆる事物には「秘密」が存在し、その秘密には大きな価値がありました。特に、秘密の価値が際立つようになったのは、戦時中の科学技術の発展と情報操作の重要性が高まったことによります。戦争に深く関与していた各国は、自国の戦略に独自の工業技術や科学技術を惜しみなく投入し、同時に、いかにして情報戦を制し、優位に立つかが極めて重要な課題となっていました。つまり、戦略や戦術そのものが国家の「秘密」となり、それを守ること、あるいは他国の秘密を暴くことに価値が置かれていたのです。このように秘密に高い価値がある時代において、スパイ(諜報員)は極めて重要な役割を担い、同時に大きな権限や権力を持つ存在となりました。しかしそれは同時に、非常に危険な任務でもあったのです。
この「秘密の価値」は、マクロな世界観でもミクロな世界観でも同様に見られました。
国同士は互いに優位に立つために国家的な秘密を抱え、一国内でも大企業や財閥同士が独自のノウハウや情報を武器に激しく競い合っていたのです。それは、各集団や企業、自治体が持つ「秘訣」とも言えるものであり、ある種の純粋な資本主義的競争が国力を押し上げる原動力となっていました。たとえば、明治時代には三菱(岩崎家)による「郵便汽船三菱会社」と、三井が支援する「共同運輸会社」が激しい競争を繰り広げました。その後も、三菱重工と三井造船、三菱銀行と三井銀行、三菱商事と三井物産といった具合に、業種ごとのライバル関係が形成されていきます。戦後の平和な時代に入っても、企業間の対立構造は続きました。たとえば、トヨタと日産、日立と東芝などがそれぞれ独自の技術と戦略を持って競争していました。トヨタは独自のエンジン技術に強みを持ち、日産はサスペンション技術において独自性を発揮していました。また、日立と東芝も、同じような工業製品を扱いながら、互いに異なる独自の通信プロトコルを持つなど、技術的な棲み分けと競争が存在していたのです。これらの方法論は、資本主義の視点から見ればごく当たり前のものに思えました。しかし、1990年代に入りインターネットが急速に普及し始めると、そうした思想は大きく変化していきます。いわゆる「第二の波」が終焉し、「第三の波」が訪れたのです。
誰もが世界中の情報にアクセスできるようになると、あらゆる玉石混交のデータが一気に広がりました。このとき、大きく変わったのは「情報を秘密にしておくことで独自の価値を生む」という発想です。むしろその逆で、「情報を公開することで優位に立つ」という新しい戦略が主流になっていきました。それが、いわゆる「オープンソース」の時代の到来です。これは、従来の秘密主義に基づいた価値観にとっては、半ば信じがたい考え方でした。情報を守ることで利益を得るのではなく、情報を公開することで多くの人の参加や共感、改良が促され、結果として大きな利益につながるという仕組みが生まれたのです。しかも、当時こうして公開された情報の多くは「無料」でした。たとえば、高い学費を支払わなければ通常は利用できなかった大学の図書館がインターネット上で開放されました。また、物理的に遠くに足を運ばなければならなかった国会図書館の資料も、電子図書として誰でもアクセス可能になりました。こうして、医療・工業・文化・芸術など、あらゆる分野の情報が次々と「開かれた」存在となり、人類の知的活動のあり方そのものが変わっていったのです。
これらの口火を切ったのはソフトウエア開発におけるOpen sourceという考え方でした。Open sourceの考え方にはいくつかあります。
- 自由と共有。ソフトウェアは「所有物」ではなく、共有財産。誰もが学べる、使える、貢献できるべきという考え。
- 透明性ソースコードが公開されていることで、何が行われているかが明確。セキュリティや品質の検証が外部からも可能。
- 協働(コラボレーション)世界中のエンジニアが、自分の知識・技術を持ち寄って開発。「バグを見つけた人が直す」「使った人が改善する」ことで進化する。
- イノベーションの加速誰かの作品をベースにして、すぐに新しいものを作れる。「再発明の車輪を減らす」ことができる。といった思想です。